沢の先にあるもの
― 山の水から、流域とNature Positiveを考える

この夏、東京近辺のいくつかの沢を登った。
暑い時期に山へ入るなら、沢は格別に面白い。
浅いところでは岩を拾いながら進み、深い淵では泳ぐ。滝は正面から越えられることもあれば、岩壁を見ながら巻くこともある。
沢の中を上流へ向かって進んでいると、登山道から山を見るときとは違って、地形と水の関係がかなり近いところで見えてくる。
同じ沢でも、流れが細かく岩を縫う場所があれば、急に幅が広がって水がゆっくりになる場所もある。
谷が狭くなれば岩壁が迫り、少し開けば木々の間に瀬や淵が現れる。
水量だけではなく、岩盤の形や転石の大きさ、谷の傾斜、倒木の位置によって、数メートル進むだけでも環境が変わっていく。
沢登りをしていると、こうした違いが目に入ってくる。
そして、いつの間にか水そのものよりも、水によってつくられている周囲の環境を見るようになる。
岩を見る

沢の岩は、どれも同じように苔むしているわけではない。
大きな丸い岩の上面には厚く緑のコケが広がっている一方で、流れが強く当たる面は比較的露出している。
少し流れから外れた岩の窪みには落葉や細かな土砂が入り込み、その上に小さな草本が生えている。
こうした違いは、岩そのものの違いだけでは説明できない。
どの程度水を受けるのか、どれだけ乾くのか、土や落葉がそこにとどまれるのか、周囲からどれだけ光が入るのか。
そうした条件が少しずつ違うことで、岩の表面に成立する植生も変わっていく。
特に面白いのは、コケが単なる「緑の表面」ではなく、その上に落葉や有機物をとどめ、次の植物が入り込む足場にもなっていることだ。
岩の表面にコケが広がり、その上や縁に有機物がたまり、そこへ草本やシダ類が入り込む。
森の土壌ほど厚くない場所でも、こうした微細な環境ができている。
水の速さで、植生も変わる

沢沿いには、シダ類や細い葉を持つ草本が目立つ。
一方で、少し水から離れた斜面では、林床の植生が変わってくる。
水が岩の間を激しく落ちる場所と、淵のように流れが緩む場所とでは、周辺の植物の付き方もかなり違う。
水が激しく動く場所では細かな土砂が定着しにくい。
反対に、流れが緩む場所では砂や落葉がたまりやすくなり、その上に植物が入りやすくなる。
水の動きが地表の条件を変え、その条件が植生を変える。
さらに植物が増えれば、落葉や有機物のたまり方も変わってくる。
自然の風景を見ていると、なぜその植物がそこにいるのかを考えることが面白い。
植物そのものを見るだけではなく、その植物が成立している条件まで見ていくと、沢の景観が別のものとして見えてくる。
岩壁に咲く紫色の花

沢沿いの大きな岩には、紫色の花をつけた植物も見られた。
大きめの葉を岩面から広げ、湿った岩の上で花茎を立ち上げている。
形態からはイワタバコが考えられる植物で、沢沿いなどの湿った岩場に見られる。
こうした植物を見つけると、花だけを見て終わりにするのはもったいないと思う。
なぜそこにいるのかを考えると、花から岩へ、岩から水へと視線が移っていく。
沢の水が直接当たるわけではなくても、その周囲は湿度が高く、岩の表面にも水分が残りやすい。
土がほとんどない岩壁でも植物が生育できるのは、その場所にそれだけの条件があるからだ。
土の上に植物を植えるという、庭づくりでは当たり前の前提が、ここでは成り立たない。
「何を植えるか」を考える前に、植物が生きられる微環境を見る必要がある。
これは、庭やランドスケープで植物を扱うときにも重要な視点だと思っている。
倒木は、流れを変える

沢には倒木も多い。
流れを横切るように木が倒れている場所では、その木が単なる障害物ではなく、沢の環境を変える要素になっている。
流れが木にぶつかることで、その周囲の水の動きが変わり、木の上流側には落葉や小枝、土砂がひっかかる。
下流側では、水が別の方向へ流れて、岩や土を削っていることもある。
一本の倒木を境にして、湿った場所と比較的乾いた場所が生まれることもある。
そこに異なる植物が入り、時間が経てば木そのものも分解されていく。
森では、枯れたものや倒れたものも風景の外へ出ていかない。
生きていたときとは違うかたちで、その後の環境に関わり続けている。
沢の中では、その変化がとても分かりやすい。
菌類を見ると、時間が見えてくる

林床では、赤褐色のキノコも見つけた。
キノコは、その場に突然現れた「植物」ではない。
菌類は土壌や落葉、倒木などの有機物と関わりながら、森の中で物質の分解や循環を担っている。
だから、キノコを一つ見つけたときにも、その周囲の落葉や腐朽木、土壌の湿り具合まで見たくなる。
地表に現れているものだけを見ていると、森は樹木と草の集合に見える。
少し下まで視線を下げると、落葉があり、腐朽木があり、菌類があり、さらにその下には土壌の中の世界がある。
沢沿いの森は、水の流れだけではなく、こうした物質の循環まで含めて成立している。
沢を登ると、景色が「流域」に変わっていく

こうした小さな環境を見ながら、沢を登っていく。
すると次第に、「この沢の風景」という見方そのものが変わってくる。
沢登りは、水の流れを逆にたどる行為でもある。
下流では一つの流れに見えていた水が、上流へ進むにつれて細かく分岐していく。
その先には小さな谷があり、斜面があり、森林がある。
さらに上へ行けば、沢という形さえなくなり、山に降った雨がどのように集まってくるのかというところまでたどり着く。
そこで、「沢」は独立した場所ではないことが分かってくる。
沢は流域の一部であり、その流域は森林や農地、都市へと連続している。
上流の森林で起きていることと、下流の川で起きていることは切り離せない。
水が運ぶ土砂や有機物も、その途中でさまざまな生態系と関わっている。
沢を登ることは、単に山を上へ向かって進むことではなく、一つの場所の背後にある「上流」をたどっていくことなのだと思う。
Nature Positiveを、上流から考える

この感覚は、最近仕事で考えているNature PositiveやTNFDともつながっている。
企業が自然に与える影響や依存を考えるとき、重要なのは「自然に配慮する」ということだけではなく、その影響や依存が、どの場所で、どのような現象として現れているのかを見ることだと思う。
沢を登っていると、そのことが分かりやすい。
目の前の淵には、その淵をつくった流れがある。
流れには地形が関係し、その地形には上流から運ばれてきた土砂や倒木も関係している。
さらに遡れば、その水を集めている斜面や森林があり、そこに降る雨がある。
目の前に現れている一つの環境を理解しようとすると、その原因の側へたどっていくことになる。
自然との関係を考えるときも、目の前に現れている結果だけを見るのではなく、その結果が生まれるまでの過程を上流へ遡って見る必要がある。
水の利用であれば、その水がどこから来ているのか。
土地の改変であれば、その土地を含む流域や周辺の生態系にどんな変化が起こるのか。
原材料であれば、その生産地で土地や水、生態系に何が起きているのか。
沢登りで水の流れを遡っていくことは、そうした関係を身体でたどることに近い。
ランドスケープも「敷地の外」から考える

これは、庭をつくるときにも関係してくる。
植物を選び、土を整え、石を据え、水を扱う。
そのとき重要なのは、何を配置するかだけではなく、その土地ではすでに何が起きているのかを見ることだ。
どこから水が入り、どこへ流れるのか。
どこに土がたまり、どこが乾くのか。
もともと何が生えていて、周囲にはどんな植生があるのか。
その場所に人が手を入れたとき、そうした関係のどこが変わるのか。
沢で見ているのは、まさにそういうことだと思う。
自然の中では、岩、水、土、植物、倒木がそれぞれ独立して存在しているわけではない。
一つが変われば、ほかの条件も変わる。
だから、自然の形をそのまま庭へ持ってくることより、そこで起きている関係を読み取ることのほうが重要になる。
自然の「形」をつくるのではなく、条件を読む

沢の中で見た風景を、そのまま庭のデザインに持ち込むことには限界がある。
苔のついた石を置いても、そこに同じ苔が定着するとは限らない。
シダを植えても、その場所の湿度や光、土壌が違えば、同じ状態にはならない。
沢にある景観は、誰かが「自然風」に配置したものではない。
水が流れ、岩が削られ、土砂が移動し、落葉がたまり、植物が入り、倒木が流れを変える。
その積み重ねの結果として、現在の景観が成立している。
だから、自然から学ぶときに大切なのは、見えている形を真似ることではなく、その形を生み出している条件を読むことなのだと思う。
どの程度の水が来るのか、どのくらい土が動くのか、どこに有機物がたまるのか。
さらに、その場所をつくった後に、時間の中で何が変わっていくのかまで考える。
そこまで見たうえで、人間が必要な部分に手を入れる。
それが、自然を扱うランドスケープの面白さだと思っている。

